活動・取り組み

お知らせ・活動レポート

【全体企画】 下北戦跡めぐりを実施しました。

2018/08/09

  • 浮島丸出航の地

    浮島丸出航の地

 7月29日(日)元中学校教諭の佐藤ミドリ先生を講師に下北戦跡めぐりを実施しました。当日は、朝早い出発にも関わらず弘前や八戸など県内各地から28名が参加しました。

 見学した場所は、常楽寺にある慰霊碑、浮島丸出向の地、大間鉄道メモリアルロード、特攻艇「震洋」格納壕跡、大間鉄道「木野部トンネル跡地」の碑の5カ所です。

 講師の佐藤先生は、どの戦跡でも熱をこめてお話してくださいました。体験談もまじえながら大変わかりやすい説明でした。
 

 写真は浮島丸出航の地です。1945年8月24日、青森・大湊港から朝鮮半島・釜山港に向かう途中の旧海軍の輸送船「浮島丸」(4730トン)が舞鶴港への入港時、船体下部付近で突然爆発を起こし、沈没しました。日本政府の発表では、約3700人が乗船していて、このうち朝鮮人524人、日本人25人の549人が亡くなったとされています。


  • 常楽寺にある慰霊碑

    常楽寺にある慰霊碑

終戦(昭和20年8月15日)間際の8月9・10日の2日間、大湊は米軍の攻撃を受けました。戦艦2隻が標的となり乗組員129人が戦死しました。遺体は近くの畑で焼かれ、畑には人骨が散乱していたといわれています。その骨を集めて供養したという大湊にある常楽寺の境内には、亡くなった乗組員の名前を刻んだ碑が建てられています。
 

  • 大間鉄道メモリアルロード

    大間鉄道メモリアルロード

大間に建設された要塞への物資や弾薬、人の輸送のために計画・着手されたのが大間鉄道です。昭和18年、工事は突如として中止になり、アーチ橋は放置されました。航空機からの戦艦への攻撃が主流となり、陸から攻撃する要塞の役割が時代遅れとなったのがその理由といわれています。
 今は、「鉄道アーチ橋メモリアルロード」として整備され、幻の鉄道を今に伝えるとともに、観光客の憩いの場にもなっています。橋の中間には足湯が設置されています。



 

  • 特攻艇「震洋」格納壕跡

    特攻艇「震洋」格納壕跡

   特攻艇「震洋」は、 ベニヤ板で作った高速モーターボートに250kg爆弾をつけ、上陸する敵艦に体当たりするというものです。軍の敗戦が色濃くなり、特攻隊の乗る飛行機がなくなり、最後の切り札として大量に生産されたと言われています。

  • 大間鉄道「木野部トンネル跡地」の碑

    大間鉄道「木野部トンネル跡地」の碑

大間鉄道建設工事で最大の難所とされた、旧大畑町の木野部(きのっぷ)峠を貫くトンネル跡近くに建立された記念碑です。工事では、半ば強制的に運行された朝鮮人労働者が過酷な労働を強いられ、多くの人が命を落としたといわれています。碑には、慰霊の思いも込められているといいます。


<感想より>

〇下北に住んでいながら初めて見るものばかりでとても勉強になりました。

〇下北に軍事施設にまつわる戦跡が多く残っていることに驚きです。今後、戦争のことを忘れないためにも、後世に残し、伝えていかなくてはいけないと思う。

〇TVで「震洋」のことを見て、どこにその格納庫があるのだろうとずっと思っていました。今回、それがわかりビックリしました。こんなに近くだったなんて思いませんでした。戦争の跡地がこんな近くにあっても「知らない」ということは悲しいことです。様々なことにアンテナをはり、いろいろと知る努力が必要ですね。ありがとうございました。

〇浮島丸の生存者の方が幸せな人生を過ごしてほしいと心から願っています。それにしても戦争は人の人生を変えるもの、残酷なものだと思います。

〇兵役や労働から逃れた人をかくまったという大畑の方々に、あの時期でしたら命がけだったろうと感激いたしました。





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